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SMECアイ−診断士の視点−ESSAY

みんなを守る屋根
                                    摩虎羅大将

実は、室町時代までつくられていた竪穴式住居

 先日、考古学の講座で、1日かけて古代の住宅、竪穴式住居を復元しました。
 竪穴式住居は縄文・弥生時代のもの、というイメージか強いですが、じつは、弥生時代の後も、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、そして平安時代ごろまで造られ、東北地方では室町時代までつくられていました。
 日本には、飛鳥時代以降の、古い寺院建築が残っており、立派な瓦葺きの建物が日本建築というイメージがありますが、実は、庶民の間では、奈良時代も、平安時代も(特に地方)、縄文時代以来の、竪穴式住居が一般的だったのです。

天智天皇にも詠まれた苫葺き屋根

 百人一首の第1番は、天智天皇が詠んだと伝えられる
 「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露に濡れつつ」
 です(意味は、簡単に言うと、苫で葺いた屋根の、苫があらいので、濡れてしまった、となります)。
 この歌で出てくる、苫葺きで屋根を葺きました(菅や茅などを用いますが、今回は入手しやすい稲を使いました。)。幾束かの稲の束の、根に近い端を、一本のわらのひもで順にくくっていって、大きなひとまとまりをつくります。これが苫です。これを、屋根の骨組みにくくりつけて、屋根とします。
 古代の屋根は、発掘調査では、見つけることができませんが、家の形をした埴輪や平安時代の書物などから、苫葺きではないか、と推測されます(三田市では、現在もウドを作る時の小屋として使われています。)。

1日かけて、竪穴式住居を実際につくる

 作業はわらなわを結びつける男結びを覚えるところからはじまりました。
 そして、柱を立て、梁とくくり、屋根の骨組みまでをくくりつけます。
 骨組みができると、今度は、苫づくりです。
 屋根を十分に葺けるだけの苫ができたら、苫を男結びで、屋根の骨組みにくくりつけていきます。
 最後は、骨組みの屋根によじのぼって、てっぺんにくくりつけて、竪穴式住居は完成です。復元した銅鐸を打ち鳴らして、祝いの音色を響かせました。

屋根は自然を克服する大きな第一歩

 私たちは、家はお金を出して買うことが当たり前だと思っています。
 しかし、アメリカのドラマ「大草原の小さな家」でも、あの「大草原の小さな家」はお父さんのチャールズが、自分で作っていました。自分たちで、自分たちを守っていた時代は、そんなに遠い昔ではないのです。
 今回、古代の住居を、実際に自分たちの手で復元することで、私たちは厳しい自然に対して、屋根一枚で守られている、という現実を再確認することができました。

社会の柱、みんなを守る屋根

 古代では、一人ひとりが自然とたたかっていました。それを、人間は厳しい自然の中に、社会を作って、集団で自分たちを守るようになりました。
 サラリーマンであれば、勤務時間に役割を果たせば、その代償として、会社という屋根が守ってくれます。8割以上がサラリーマンという、日本の現状では、安心な状況自体が当然のようになっており、また、それが社会を安定させているともいえます。
 それに対して、会社は、社会を支える柱となりつつ、社会(経済の荒波)の中で、屋根となってみんなを守り、家族と従業員のよりどころを作っています。会社を経営していくことは、それ自体、大切な社会の貢献を行っているのです。 
 経営者は、このような、自らの営みに対して、大いに誇りと自負を持っていただきたいと思います。


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