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SMECアイ−診断士の視点−ESSAY

任天堂と天狗堂
                             中小企業診断士 古野 健治

企業の「成功」とは

 企業の「成功」はどのような指標で判断するのだろうか。売上高や従業員などの規模なのか、累積利益か、あるいは株式上場か、企業寿命の長さか、世間の評判か。成功企業と思われていた会社が突然、失敗企業に転落することもある。例えば、最近の電機業界では「シャープ」や「東芝」などの事例が想起される。神戸発祥の企業の例で言えば、かつての「鈴木商店」は大正期に三井物産を抜いて日本一の総合商社の地位に昇り詰めた。しかし昭和初期の金融恐慌に対応できず倒産してしまった。その面では「失敗」企業であるが、その一方で、鈴木商店を源流とする多くの優良企業は現在でも事業を継続している。成功とも失敗ともにわかには判断できない。

企業の「進化論」

 企業の発展を、生物の進化のプロセスと比較する議論もある。多くの中小企業の社長にとっての「成功」とは、自社の規模が拡大し大企業となることと思われる。株式上場を果たす「成功」を夢見るベンチャー起業家も少なくないだろう。生物学の世界では、かつてラマルクの提唱した「定向進化論」は、アメリカのE.D.コープにより「コープの法則」として確立され、当時の学界の主流となった。昔の図鑑などに小型のゾウや馬がだんだん大型化していく絵が載っていたものである。しかし、その後、ダーウィンの適者生存の「自然淘汰説」が出現して、その考え方は衰退してしまった。大型化するものもあれば、ネズミのように小型化するものもある。百獣の王ライオンも獲物の捕獲に苦労し、内情はかなり厳しいようである。大型化にも小型化にも、それなりのリスクがあるわけである。
 かつて、京都発祥の「花札(骨牌)」メーカーの2強として「任天堂」と「大石天狗堂(以下、天狗堂と略す)」があった。以下ではこの2社の対照的な歩みをたどりながら、企業の「進化」のありようについて考えてみたい。

任天堂の歩み

 任天堂は1889(明治22)年に、山内房治郎が「任天堂骨牌」として京都で創業した花札メーカーであった。江戸時代の天保の改革で花札は賭博として禁じられていたが、1885年に解禁となったため多くの業者が参入した。任天堂もその1つであった。1902年に、日露戦争の戦費調達のため骨牌税が創設され、資金調達の体力の弱い零細企業は淘汰されたが、任天堂はかろうじて生き残ることができた。第2次大戦後の1949年から2002年の長きにわたって社長を務めた3代目の山内溥の時代に、任天堂は大きく変容していく。1970年代にコンピュータゲームを手掛け、1980年代には家庭ゲーム機を展開し、「スーパーマリオ」の成功を機に、事業は転換を続け、1990年代には「ポケモン」が一世を風靡するに至り、総合娯楽産業の地位を築いた。4代目の岩田聡は海外での展開を進め、アメリカの球団「シアトル・マリナーズ」を取得し、さらに「ニンテンドーDS」などで世界的な企業となった。5代目の君島達己はQOL事業を立ち上げ、健康センサーの開発などにより従来の娯楽産業から健康産業へと事業ドメインの転換を試みている。事業規模は、連結で5000億円、従業員5000人、資本金100億円の世界企業に到達している。時代の変化を先読みしながら、自らの事業ドメインを大胆に転換し成長を続ける任天堂を「成功」企業と評価することへの異論は少ないだろう。

天狗堂の歩み

 天狗堂の正式名称は「大石天狗堂」であり、江戸時代の1800(寛政12)年に京都で、大石蔵之助(忠臣蔵の大石内蔵之助とは別人)により創業され、実に200年以上の歴史をもつ老舗である。花札製造販売を家業として、天保の改革の花札禁制の際にも、米穀商「湊屋」の看板を表に掲げて裏では花札を売っていた。客は「花」を「鼻」に掛けて、人差し指で鼻をこする符丁を使っていたという。日露戦争時の骨牌税(のちにトランプ類税)は長く続き、廃止されたのは1989年のことだった。その際、廃税で新規参入が増え競争激化となることを恐れ、天狗堂は主力商品を花札から百人一首に移していく。競技用かるたを工夫して、わずかに反らして四隅だけが畳に接し、少し浮かせて選手の指がかかりやすくすることが評価され協会の受注を得ることができた。さらに最近ではアニメ「ちはやふる」のヒットなどにより百人一首は廃れず継続している。
 華々しい任天堂に比べると天狗堂の歩みは実に地味である。家業から合資会社に組織変更したのは創業後130年たった1930年であり、さらに株式会社になったのは創業後200年の1999(平成11)年であり、しかも資本金は1000万円に過ぎず、今でも非上場である。江戸・明治・大正・昭和・平成を通じた天狗堂の遅々とした歩みの背景に、逆に別の意志を感じることもできる。天狗堂長寿の秘密は、後継経営者の事業承継の工夫にあるようだ。兄弟だった大石家と前田家の2系統から社長を供給し、適任がない場合は互いから養子を出すことにより両家の存続を図ってきたわけである。「長寿」に絞って企業の存続を追求する天狗堂の生き方も一つの「成功」と考えてもよいのではないか。

 任天堂と天狗堂を事例に、企業の「成功」を考えてみたが、結局、定説を得ることはできなかった。経営者の理念・価値観と時代の変化のなかで「成功」の判断も変化していくのかもしれない。やはり企業の世界も、適者のみが生存する厳しい世界なのである。


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