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SMECアイ−診断士の視点−ESSAY

日産ゴーンの怪
                            中小企業診断士  古野健治

ゴーン逮捕の衝撃

 2018年11月19日に突然報じられた日産のカルロス・ゴーン会長の逮捕劇は、日本・フランスをはじめ全世界に強いインパクトを与えた。その後、東京地検特捜部から小出しにリークされる情報によって、日本ではゴーンの強欲さへの心象が形成され、逆にフランスでは日本によるクーデター・陰謀説が流布されている。まだ事件の全体像が見えず、真相は藪の中である。今後の起訴・法廷闘争で少しは明らかになるだろう。しかし、今日の段階でも、法的にはともかく、道義的にはゴーンの超高額報酬や会社資産の私的流用などに対する日本庶民の嫌悪感は強い。
 数年前、フランスの若い経済学者トマ・ピケティの分析により、欧米・日本で貧富の格差が拡大し、世界の資本主義の病的な強欲性が指摘されてきた。とくに1970年代以降、ミルトン・フリードマンらが唱える「儲ける自由」が、レーガン・サッチャー・中曽根らによって「新自由主義」として政治プログラムとして展開され、各国とも政治・経済の道義性の劣化が進行している。日本でも小泉・竹中時代以降、節度を失った強欲資本主義と、企業の利害関係者へ配慮すべきとする公益資本主義とのせめぎあいが続いている。

ルノーと日産の国策性

 ゴーン事件のもう一つの切り口として、日・仏の国策の衝突が喧伝されている。フランスではルノーは元々国営企業であり、今日でもフランス政府はルノーの大株主として影響力を保持している。支持率の低下に悩むマクロン大統領が、ゴーンの立場を利用してルノーによる日産の吸収・統合を水面下で進めていたとの報道もある。G20の会議の際に、マクロン大統領が声掛けしたのに対し、安倍首相が「日産は民間企業であり、政府が関与すべき問題ではない」と言い放ったこともよく知られている。
 しかし、今回の東京地検特捜部の背景に、経産省・官邸の意思が存在しているとの報道も納得性のある話である。日産の歴史を改めて点検し、日産が国策性のない純粋な民間会社だったのか、について検証してみることもこの事件の本質に迫る一つの道かもしれない。

鮎川財閥と日産

 日産の創立者は、山口県(長州)出身の鮎川義介(1880−1967)であるとされている。明治維新政府の財政を牛耳っていた井上馨とは姻戚関係にあった。鮎川は東大で工学を学び、1910(明治43)年に北九州で戸畑鋳物(現・日立金属)を創立している。鮎川が飛躍したのは1928(昭和3)年に義兄弟(妹の夫)の久原房之介(1869−1965)から久原鉱業など財閥を譲られたことに始まる。その後、鮎川は久原鉱業を日本産業(日産)と改称し、さらに陸軍の田中義一(後・総理大臣)の求めに応じ、日産・日立・日本炭鉱などの日産コンツェルンを形成した。
 1937(昭和12)年には、満州の関東軍の要請により日本産業を満州に移し「満州重工業株式会社」(満重)を興した。当時、満州の2キ3スケと言われた東條英機(関東軍)、星野直樹(満州国務院)と岸信介(満州総務庁・安倍首相の祖父)、松岡洋右(満鉄)、鮎川義介(満重)は日本の国策推進の中核部隊であった。しかしその後、白洲次郎らの情報で日本敗戦前に鮎川は満州から撤退している。

藤田組、久原財閥、鮎川財閥

 歴史をもう少し遡って、明治維新以降の動きを見てみる。当時の新政府は薩長政府ともいわれていた。長州の志士であった藤田伝三郎は井上馨とパイプを持ち、西南戦争の際は政府陸軍の軍靴を一手に扱い、財閥の基礎を固めた。藤田の甥の久原房之介も藤田組が入手した秋田の小坂鉱山を日本三大銅山にまで育て上げた。藤田組の財産分与を受けて独立した久原は、茨城県で日立銅山などを手掛け財閥を形成した。久原鉱業併設の電気機械製作工場がのちに独立して今日の日立製作所となった。
 久原は膨大な富を蓄積し、神戸の東灘に数万坪の住吉本邸を建設し(現在は億ションが林立している)、白金にも東京本邸(現・八芳園)を設けていた。久原は巨大な財力を背景に政界に進出し自民党の戦前の前身である立憲政友会の総裁になり、また田中義一内閣の大臣になる。その際に財閥を義兄弟の鮎川義介に譲ったわけである。久原は、戦前から各国の要人と交流し、戦後もソ連のスターリンや、中国の毛沢東・周恩来などと面談し、日ソや日中の和平工作を水面下で進めた。これらの財閥は姻戚関係にあり、国策の中心にあった。

今後の展開

 日産は1933(昭和8)年に自動車工業kk(現・いすず)から、無償でダットサン製造権を取得し、戦後は自動車産業として発展の道を歩んだ。しかし、バブル崩壊後の1990年代には経営陣の軋轢や、労使関係のこじれなどで改革の体力を失い、2兆円の負債を抱えるまでに凋落していた。提携したルノーから派遣されたゴーンはしがらみのない立場から、容赦のない工場閉鎖、人員整理、経費のカットを繰り返し、経営をX字回復させたと言われた。しかしその後は、「強欲経営者ゴーン」という新たなしがらみを抱えることになってしまったわけである。
 日仏の国策の衝突とは別に、日本が正気を取り戻し、「節度ある経営」が復活できるかをこの事件の今後の経緯を追いながら注視していきたいと思う。 


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