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SMECアイ−診断士の視点−ESSAY

私の海外体験(異質の考えとの遭遇)
                              中小企業診断士 村上 顕

私の海外経験に関する想い

 私は、初めて海外に行った大学生時代のオセアニア旅行から現在まで、わずかですが8か国に渡航してきました。私の体験でいえば、若い時に海外を経験すること、若ければ若いほどその影響はのちの人生に主としていい方向で大きい影響を与えてもらえるということは確かです。作家の伊集院静氏も書いていますが、若いときの未知の経験特に海外経験、つまり外国という日本人である自分が何者かが全く通用しない世界に身を置くことがいかに重要かということです。日本にはない言葉、考え方、バスや電車のブッキング方法の違い、発想の違い等の経験。それは、単に海外を知るということではありません。異空間にさらされると同時に、海外の方々との交流の中で、知っているはずの日本という国をいかに自分が知らなかったかということや日本の発想がいかに偏った発想でしかないかということを再認識する瞬間でもあります。日本の食べ物、生活習慣、歴史、文化等々を私たちはどれだけ日本人として理解しているでしょうか?日本ではあたりまえのことが海外では通用しないことがわかっているでしょうか?海外で素朴に日本以外の方々と話す中で問われて困惑することがいかに多いことか。ボーダーレスになっている今の世界では、逆に日本人としてのアイデンティティというものを意識し、理解しておくことが重要になってくるのです。ここに、今まで私が訪れた場所での経験を記載します。何かの参考になれば幸いです。

オーストラリア
 何はさておき、私にとって初めての海外です。とにかく地平線と広大な大地を体感したかったのです。今の日本人の多くの方々はグレートバリアリーフを目指します。しかし、私が選んだのは、エアーズロック(ウルル)とそこに広がるアウトバックでした。ですからバスでの移動を選択しました。オーストラリアには14日間滞在してバス泊、ホテル泊の繰り返し。ホテルも飛び込みでその日にとるというスタイルでした。その結果、大地は丸いのではなく、直線でできていることを知りました。また、カナダ、ドイツなどの若者と一緒に同じ時間を過ごし、考え方や日本のすばらしさを感じさせていただきました。具体的には、日本語は縦方向にも横方向にも書けるし読めます。こんな言葉をもっているのは中国、韓国、北朝鮮、日本くらいではないでしょうか?一方で、アジアのような黄色人種が差別されていることも肌で感じる結果となりました。これは残念でしたが。

ニュージーランド
 オーストラリアからニュージーランド航空でクライストチャーチへ夜に入りました。宿は、飛び込みで探したのですがなく、一軒のおばあちゃんの家に泊めてもらいました。そこには、世界中からいろんな若者がきていたのです。おばあちゃんは子供がいないですが、世界中に子供ができたといっていました。ニュージーランダーは親切のひとことでした。土地自体は、北海道のような感じでしょうか。ここは主としてバスと列車で南から北へ行きましたが、その途中、ミルフォードサウンドを見に行くため、レンタカーを使っていて事故にあいます。死んだと思いました。九死に一生を得たのですが、なんせ山の中で店や電話もありません。当時は携帯電話はない時代です。ヒッチハイクをやりました。数台通り過ぎた後、ブルーの車がとまり、私と相棒を拾って町まで送ってくれました。レンタカー会社でも、事故処理とともに病院への搬送も。これは、忘れられない恩なのです。人を助ける心意気はどの国も同じですね。

シンガポール
 オセアニアを終わり、最後にシンガポールへ。空港でここはサウナか?と思うくらい蒸し暑かったことを覚えています。また、屋台で食べた食べ物のおいしかったこと。マーライオンの姿。それだけの思い出でした。しかし、息子がここに赴任し、その赴任時期に外国人の娘さんと結婚したこともあり、約40年後に再び訪れ、いろいろな場所を歩きました。交わる人種、言葉。教育への投資。まさに、40年の歳月のあとには、私も成長しそんなことを感じるようになりました。それにしても、マレーシアの人や中国の人も交えて食文化でも交流の文化でも宗教や店などの面で多種多様です。

フィジー
 ここは、あまり日本人は知らないのではないでしょうか。ラグビーで知っていても、国名くらいでしょう。インド系と現地人の半々の人口構成。イスラム、キリスト、仏教などさまざまな教会、モスクが一緒に立ち並ぶ光景。また、透き通る遠浅の美しい海。何もしたくなくなり、海でボケーっとしていました。オセアニアで海外の若者が口々にフィジーは最高やといっていたので行ってみました。本当でしたね。何もしないことも旅行ということを体感しました。

フィリピン
 ここくらい二度と来たくないと思った国はありません。理由は、信用できないの一言です。一般人はもちろん、警察も。空港では、トイレでゆすられるし、荷物はもっていかれそうになるし、警察にバッジを売りつけられるし。アキノ大統領に代わった革命の直後だったから余計でしょうか。セブ島にバカンスにいって、バディアンアイランドというリゾートでやっと安心できたことを覚えています。初めて手で食べたカニや魚はおいしかったですが。この警察や一般人に脅されたときに日本語でまくしたてたら効果があったことはお伝えしておきます。迫力がものをいう場面では、自分が一番表現できる言語が武器になります。

韓国
 2回行きました。1回目はマラソン大会への参加。慶州とプサンでしたか。慶州の古墳やプサンの食べ物が印象に残っています。2回目は、ソウルへの家族旅行。韓国の文化を全身で感じました。素晴らしい都市の美しさ。田舎のなつかしさ。とくに食べ物がよかったですね。肉、魚、野菜をふんだんに使った韓国料理を堪能できました。家族で楽しめたのもよかったのでしょうね。残念なのは、漢字が消滅していること。また、地元の店では、日本語はもとより英語も通じないので困った経験ができました。

アメリカ
 ここは、ハワイ5回、ニューヨーク2回、フロリダ1回と一番渡航回数の多い国です。ハワイでは、アロハの精神。本土では、都市のすばらしさと何もしないことも旅の在り方ということをあらためて認識しました。都市のほうは、ニューヨークですね。電信柱がない美しさ。しっかり百年単位で持つように作られたビル群。看板のない風景。レストランで食べるB級グルメ。カフェ。そして、ブロードウェイですね。自由ですが、あまり地元の人と接する機会はなかったです。フロリダはサンドパイパーというクラブメッド。時計やテレビはなく、お金も使いません。浜辺で、仲良くなった人たちとナッシングスペシャルな時間をすごすことも立派な旅の形だと再認識しました。

インドネシア
 ここは、息子の嫁様の故郷です。息子がシンガポール勤務の時に知り合った娘さんと結婚しました。彼女の出身地がインドネシアです。初めて結婚式の時に行きました。彼女のお父さんが車で迎えてくれて、ホテルでも親戚の人たちと交流しました。ランチやディナーをご一緒して、おうちでもお話をしました。会話は英語しかありません。しかし、このたった1週間ていどのふれあいがもとになって、今もインスタグラムという武器を介して、英語という言葉で交流を続けられています。イスラム教徒のシェアが9割を超えるくらいの国で、私の親戚たちもすべてイスラム教徒です。私が、声を大にして言いたいのは、イスラム教徒はテロリストではないということです。また、聖戦と称して人を殺すことを是とするような教えはしていないということです。日本人が神社やお寺にお参りする感覚で、モスクへいっているだけで、敬虔な宗教の実践をしている人たちばかりです。

まとめ
 私の海外経験はこの程度ですが、いえることは以下の通り。
@ 海外経験は、若ければ若いほど人生への効果が大きい
A 英語(私の低レベルの英語でも)という言葉のありがたみ
B SNSのすごさ
 以上でしょうか。
やはり、私たちは、海外で異国経験をすればするほど、またノーボーダーになればなるほど日本を知る必要があるということがわかります。私たち日本人は、もっと、日本を知らないといけないと思います。また、自分たちと違う考え方を否定しないこと。理解すること。そして、英語やSNSで発信することでしょうか。



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