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SMECアイ−診断士の視点−ESSAY

失われて初めてわかるのもの
                              中小企業診断士 村上 顕


今あるものやことは、永遠ではない

 今あるものやことを永遠にもっていられると勘違いして私は長年生きてきた。最近、次々とそれらが失われていく。その都度、落ち込んだり、あせったりすることを繰り返す。日々の中で私は、今手にしているものを永遠にあるものと仮定して生きてきたことが本当によくわかり、情けない気持ちになる。今あるものには、それがあって当たり前ではないと気付くことが、これからを生きる第一歩として必要になる。

優勝できる力

 わかりやすい例でいえば、私の好きな野球。ホークスの例が挙げられる。ほんの4-5年前、ホークスは日本選手権シリーズを4連覇しており、負ける気がしなかった。それが、今は完全にオリックス他のチームに押されてしまって、日本一どころかリーグ優勝すらできない体たらくである。ジャイアンツでも、V9の時代など優勝するのが当たり前という感覚だった。1974年にドラゴンズに優勝されて初めて、それが当たり前ではないと知った。


 私の嫁は、広島の出身である。彼女の両親は、私の両親より若く、私の両親が逝ってから嫁の方と考えていた。しかし、あっというまに嫁の両親は二人とも逝ってしまった。私の両親は健在である。
そう考えると、私の親もいつ逝くかわからない。昨日元気でも今日はいないということがありうる年齢である。そのつもりで接しなければいけない。とおもいつつ、どこかにいつまでも生きているという前提で何かしている自分を発見するのが情けない。

仕事

 5年ほど前、突如会社との契約の関係で、私は仕事をやめた。すぐに公の仕事なりでやっていけるような気がそのときはしたことを覚えている。しかし、税理士や社労士など職業独占のある仕事でない診断士の場合は、簡単には仕事などこない。営業マンをしていて退職前の仕事のつてが使える環境の人や副業が可能な世代の人は別として、それが現実である。今の仕事に巡り合うまで半年も要した。私は、そのとき悟った。フリーで次々と仕事をとっていくスタイルは自分には無理と。実力は全くないと。

人とのつながり

 会社にいるときは、気づかなかったが、会社をやめると誰もいなくなるとは本当である。わたしには、幸いNPOや研究会のような社外のつながりが細々とあった。これがなかったらと思うと怖い。女性は地域と生きていっている人が多い。我が嫁もそうである。しかし、男は孤立する人が多い。会社で偉い地位にいた人ほどダメな傾向が強いのではないだろうか。

苗字

 苗字は、家の表示である。うちの場合は、私の息子の代で終わりを告げる。娘には子がいるが、息子には子はできないからである。息子の嫁は、病気で子供ができない。家は、終わる。血はつながっているが。

健康
 これが一番こわい。私は、15年前肝臓の病気になって健康を失った。今でも好きだった酒は飲めない。また、今年に入って片方の目が突如見えなくなった。正確に言うと半分かすむビジョンである。まったく、手元の文字がわからない。老眼鏡や虫眼鏡もやくにたたない。こんなことが起きるのである。幸いまだもう片方が何とか見えているのでいいのだが。しかし、こちらもどうなるかわからない。そうなれば、一瞬にして盲目一歩手前である。また、他にも糖尿病とか心臓病とかも起こりうる。そうなると、今まで食べられたものや飲めたものが一気に目の前から消えてしまうのである。

 失われる前にはわからなかったことは、しかたがないとしても、今あることや物に感謝して生きていかなければいけない。



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