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SMECアイ−診断士の視点−ESSAY

原発再稼働の是非 その2
                                     DAHDA

はじめに

 以前に原発再稼働の是非について、再稼働した時のメリットとデメリット、再稼働しなかった時のメリットとデメリットをこのコーナーで書きました。その時、最後に「資源の無い国で円周率を3と教えているようでは駄目」という趣旨のことを書きましたが、その続編です。

基本方針を間違うと

 企業の経営、中でも規模の小さい企業の場合、どうしても目先の売り上げや利益に目が行きがちですが、安定した経営を持続するには5年先、10年先を考え、そのための準備を怠らないようにしなければならないでしょう。もちろん、今目の前にある危機を乗り越えねば5年先、10年先に意味はありませんが、そうではあってもやはり将来に向けて進む方向、基本方針があってのことと思います。しかし、基本方針を決め、それに則った経営施策を行っていても、時間が経過するにつれてどうも考えていたのとは異なる展開になり、このままではまずいということに気がつくこともあるはずです。その時は躊躇無く方針転換すべきと思います。それが出来るところが規模の小さい企業のメリットと言えるかもしれません。

 10年単位で時間が経過してから、あれは間違いだった言うことになると、そこで終わりか、終わらずとも取り返すのに10年をはるかに越える時間がかかるかもしれません。

 国のレベルで言うなら、その代表的な例が「ゆとり教育」でしょう。一部の理想を追い求める所謂学識経験者の意見に、政治家や役人が惑わされ、知識の詰め込みや競争することを止めただけで、それに代わるべき有効な教育を行えなかった結果、新しい環境に飛び込むことに尻込みする若者や、昔なら学校で学んできたはずの基本的な事柄を企業がもう一度手取足取り教えながら、環境に順応しているかと気遣わねばならない若者を大量に生み出してしまいました。

 目指した所は間違っていたとは言えないかもしれません。しかし、それを実現するには高度なレベルの教育システムとそれに見合う人材が必要であったのに、現実と求められるレベルには大きなギャップがあり、結果を出せなかった。「個人の能力や得手不得手、時には運不運によって、一人一人の間に差が生じるのは当たり前だが、そのことは問題ではなく、その差を受け入れた上で自分らしく目の前の事に立ち向かえ」と教えるべきところを放棄して、差が表だって顕れないようにとばかりしてきたのが所謂「ゆとり教育」の一面だったように思います。

原子力発電の基本方針

 原子力発電については、「ゆとり教育」と逆のことが行われようとしているのではないでしょうか。理想を追いかけるのでは無く、今ある目の前の危機(大規模な停電、電力費の増大による企業競争力の低下、貿易赤字の継続・増加等)への対策が優先され、理想に一歩でも近づくよう新しい事にチャレンジするという国の意思(基本方針)は見えてきません。原発を再稼働すべきかどうかについて、個人的には、条件が満たされた新鋭炉だけは早く再稼働して時間を稼ぐべきだと思います。しかし、重大事故が発生する確率だけではなく、核廃棄物の問題、世界の趨勢、そして代替発電技術の開発促進を考慮すると、原子力発電廃止の基本方針を示し、明確に廃止の期限(10年程度)を切るべきです。もし、ここではっきりと期限を切って目標を示さないと、日本は代替発電技術の開発という面で世界から取り残されることになるでしょう。

世界の趨勢が非原発の方向であることは見え始めています。国の施策にしても、企業経営にしても、将来のあるべき姿を見据えつつ、目の前の壁を乗り越えていかねばならないのです。貴重な予算と人材を代替発電技術とそのための資源開発に集中し、この分野での世界一を目指すべき時、それは今をおいて他にないと思います。

NPO法人 ビジネスアシストこうべ