本文へスキップ

神戸を中心とした地域社会に貢献するNPOビジネスアシストこうべ

SMECアイ−診断士の視点−ESSAY


                                   T Y

お城ブーム

 お城がブームとなっています。城は、砦や柵しかないような小さなものや、戦国時だけでなく中世のものも含めると約2万5千(説によれば4万、5万)余りあったと言われています。その中では日本百名城が有名です。また、当時の天守閣が残っている現存12城と言われている城があります。北からみてみると、青森県の弘前城、長野県の松本城、福井県の丸岡條、愛知県の犬山城、滋賀県の彦根城、兵庫県の姫路城、岡山県の備中松山城、島根県の松江城、香川県の丸亀城、愛媛県の松山城、宇和島城、高知県の高知城です。松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城の5つが国宝で残りは重要文化財となっています。それらの城は昔ながらの天守閣を備え存在感を示しています。また、最近、城自体も昔の姿の城を復興し、観光の目玉にしようとする動きもあります。兵庫県では尼崎城の再建が行われており、名古屋城は昔の天守閣を復元しようとしています。

お城の変遷と海外との相違

 お城は、戦乱の時代は防衛的な観点から山の地形を生かした山城が大部分でした。それが江戸時代に近づくと、防衛的な観点は後退し徐々に権力を誇示するためのものに変化し、平地の拠点の中心に建築する平城へと変遷してきました。天守閣の色も戦時は防衛の観点から黒でしたが、平時の白へと変化してきました。
 ところで、日本の城と海外の城の大きな違いを御存知でしょうか。ヨーロッパにしても中国にしても、海外の城は、町全体を大きな石の塀で囲い城塞都市化するものが多いのに対して、日本では比較的小さなものが多いことが大きな違いです。石垣も戦国時代になってから一般的となっており、城壁で町全体を塀で囲ったものはほとんど見られません。そこには、城は領主を守るためのものか、住民まで含めて守るためのものかという考え方の違いにあります。日本において町まで囲ったものは、武田信玄、上杉謙信の攻撃にも耐えた小田原城と、その小田原城を落城させた豊臣秀吉が作った大坂城(あえて阪ではなく昔の坂を使用しています)ぐらいしか見られません。

城の強さと戦略

 城は敵から身を守るために作られます。そのため石垣、狭間、郭等いろいろな仕組みが施されています。また、一般的に攻める方は守る方の3倍の兵力が必要と言われています。このように、城に立てたてこもることにより敵からの侵略を防ぐことができます。しかし、城にたてこもるだけでは勝つことはできません。城にたてこもっている間に、援軍を待つか、別の兵力により敵の本拠地か取り囲んでいる敵の後方を攻撃しなければ勝つことはできません。何時までもたてこもっていても、援軍がなく孤立するだけでは、兵士の士気も落ち、長時間の兵糧攻め等により、戦力を維持することができなく、結果的に落城していまいます。


攻めと守り

 それは城だけの話ではありません。企業も、攻撃を受けた場合には一時的に防衛することは必要ですが、守りだけでは勝つことはできません。「この城は難攻不落だ」と言って、明確な戦略を持たないまま城にたてこもり落城した例は多数あります。引くときは引く、攻めるときは攻めるといったように環境に合わせた戦略を持った対応が必要です。

 最後に、筆者は百名城のうち54の城、現存12城は10の城を訪問しました。既に行きやすいところは行ってしまったため、残りの46の城は、東北や九州の城が多く、これ以上訪問先を増やすのはだんだん難しくなってきていますが、いろいろな攻めの戦略を練って訪問したいと思っています。 


NPO法人 ビジネスアシストこうべ